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モード奏法

トランペットは相変わらずスランプなのだが、1ヶ月前に比べると信じられないほど改善された。

1月なんて音すら出なかったもんなぁ。

6年前にスランプになって以来だったから信じられない状態で、山本ヤマさんとか昆布氏に泣きついた程。

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幸い、何とか基礎練習程度は出来るようになってきた。

トランペットのスランプ、と言っても結構、メンタル的な部分が大半を占めている気がする。

何とか基礎練習が出来るようになったのは風邪で3日ほど寝こんだ事で、身体が「トランペットの吹き方」を軽く忘れており、其れでリセットされた、と言うのも大きい。

まだ、スランプ脱出って処には程遠いが何とか音は出る。

練習曲(簡単で高い音が出ない曲)なら吹ける程度だが、『まったく音が出ない』と言う状態よりは遥かにマシだ。

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今日、区営プールで泳ぎながらモード奏法について考えていた。

『モード奏法』と言うのがリディアンだとかドリアだとかクロマチックだとか、西洋音階だけをモチーフにするのではなく、其れこそ『全世界にある、全てのモード』をも視野に入れるとすると、インド音楽のモード(ラーガ)も使えるし、もっと言えば雅楽のモードも使える。

『あらゆるモードを使う』

と言う事なのであれば、極端な話だが

『まったく音を出さない』

と言うモードがあっても良いはずだ。どんなモードやねん、って思うが『雅楽』って一応、全員がユニゾンらしいんだよな。

ニゾンに聴こえないのは、笛とか笙が吹ける音階を太鼓とかでは出せないから。だから

「心意気としてユニゾン

なのかも知れない。太鼓なんて「トン!」と鳴っているがリズム・セクションとしての太鼓ではない(そもそも、和太鼓と言う楽器がリズム楽器として成立したのは近年だ)。

『雅楽』の太鼓が鳴って無くても「いや、ユニゾンっす」と言うのであれば「鳴って無くても音は出てるんです」と言う事になる。

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こんな話に喜びそうなのは多分、ジョン・ケージ

ジョン・ケージは『4分33秒』と言う20世紀史上、最大の曲があるが本人としても、まさか自分の生涯代表作になるとは思わなかったのではないだろうか。

だって、無音曲なんて4分33秒だけだもんな。ってか、ケージ一人で作った曲ではないが(デイヴィット・チューダーとの共作)。

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マイルス・デイビス自叙伝』にジョン・ケージの名前が出てくる。70年代マイルスはシュトックハウゼンを好んだらしいが、シュトックハウゼン以外にもアメリカ現代音楽には興味があったと思う。師匠であるパーカーがそうであったように。

マイルス・デイビス、またはビル・エバンスがモード奏法をJAZZに取り込んだ時点で、実はJAZZは『酒と女と煙草の音楽』ではなく、『アメリカ現代音楽』になったと思う。

違いは『演奏する場所』の違いだけ(現代音楽は『それなりの場所』で、マイルス一派はバー)。

マイルス・デイビスにとってジョン・ケージの音楽は騒音音楽と言う認識だったっぽいが、単なるノイズではなく『騒音すらモードになる』と言う認識だったのではないか?と言う気がする。

カムバック後のマイルス・デイビスTPは意図的にピッチをズラしている。

其れが本来の西洋音楽規範で言えばアウトなんだけども、そのアウトとされる(騒音と処理される)手法を敢えて使っている。

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演奏する場が違っただけ、と書いた途端に思えば初期のスティーヴ・ライヒはガレージでライブをやっている(CD化されている)。

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そう考えると、JAZZと現代音楽の違いは『紙一重』と言う事だったのかも知れない。

シュトックハウゼンを聴きながら酒を呑む、と言うのは流石に時代を考えても難しいので、ああ言う演奏になった、と言うだけで。

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ただ、70年代のドイツではLSDをキメた状態でシュトックハウゼンのライブに行く、と言うのがCOOLだったらしいので(そんなアホな事をしていた有名人がクラフトワーク)まったく否定出来るモノでもない。

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其処へコルトレーンと言う存在がいるのだが、コルトレーンエリック・ドルフィー

思えば、コルトレーンなんて『シーツ・オブ・サウンド』とか言われているが、あれって、当時、聴いていた人にすれば『アコーススティック・ノイズ・ミュージック』だったはずで。

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90年代に「すげー」と聴いていた私にとって、阿部薫コルトレーンも非常階段もインキャパシタンツやメルツバウも同じジャンルだった。オーネット・コールマンもアイラーも、サイキックTVもTACOも同じだった。

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違いを聴き分けられなかったのではなく。

なんとなく、そんな事を思った。

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