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小野篁考 メモ

単なるメモです。

小野照崎神社本祭神小野篁、縁起では852年奉斎とあるが、これは篁の没年と同じであり奉斎年度としては早すぎるように思われる。

小野篁奉斎の理由については「かの人は上野国国司であったことがあり、この地に一時期住んでいたため」とされているが、奉斎理由としてあまりに弱い。

困った時の早稲田大学図書館だが、小野篁の研究書は意外なほど少なかった。ウィキ記載内容程度しか調べられなかったが官位歴から察するに上野国国司であったことはなく、まして武蔵国居住の記録は見当たらない。ただし、明治年間編纂「武蔵国誌」に「小野照崎神社の小野篁奉斎は足利学校にならう」とあり、足利学校起源を調べるとなるほど小野篁創建の説が存在している。これを説く最も古い記述は鎌倉大草紙で、1380年、つまり鎌倉期のものだからかなり古い。しかし、この書より後年やはり「小野篁は上野および下野の国司着任の記録なし」とされ支持されておらず、ここから言えることは「鎌倉期既に関東圏に一種の小野篁信仰が存在していた」という程度である。

武蔵国は一宮も小野神社といい、武蔵国司は小野氏から多く選ばれたためという話も聞く(裏取り無し)。関東圏国司全般において小野氏から選ばれていたとすれば仮に歴代の誰かが創建したとして小野氏の中のビッグネーム、特に学芸に優れたと名高い小野篁が学校の創設者に選ばれたのは不思議ではない。

先の武蔵国誌には照崎神社奉斎も「元は聖堂にあり」とされ、これは林羅山創建湯島聖堂を指していると思われるが、であれば移転があったとしても現在の湯島聖堂に合祀されているはずである。つまり、上野の小野篁は学者としての崇敬と別の側面を持っているのではないか。

小野篁と言えば、伝説のレベルで「冥府と往来し、閻魔の補佐をしていた」という話が有名である。陰陽師や法師でなし、なぜただの学者兼官吏にこのような伝説がつきまとうのか、一考の余地はある。死後の祟りを神秘づけられた菅原道真と違い、篁の伝説はほぼ生前に関するものであり、神秘話は既に今昔物語に載っているので、本人の生存年間からかなり近い時点で神秘的な存在と見られていたと思われる。

閑話休題現在の小野照崎神社の境内には青面金剛が合祀されている。かの神は庚申信仰の本尊である。庚申信仰が何かと言えばまたややこしいのだが、平たく言えばかのえさるの日は人の体から三尸の出て閻魔の元へゆき、人の罪悪を告げて寿命を縮める、という信仰である。青面金剛は冥府との境を守る神で、「塞の神」との習合が言われる。冥府の番人ーここが篁の冥府の往来を連想させるのは少々ひっかかる。上野の小野篁信仰はこちらの側面からの奉斎ではないだろうか。

しかし篁に対し上野に青面金剛が祀られたのはいつなのか、がわからず確証はない。

しかし逆に青面金剛小野篁が関係しているとなれば彼が冥府を往来したという伝説の裏付けになる可能性もあり、非常に興味深い。

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